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| 縮景園(しゅっけいえん) |
| 広島藩主浅野長晟(ながあきら)に、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇。園の名称は幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 |

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■清風館(せいふうかん)
園の中心的な建物。庭園にふさわしい数寄屋(すきや)造りで、屋根は柿葺き(こけらぶき)の瓦棟(かわらむね)である。代々の藩主が愛好した名亭で、昭和39年(1964)に復元。 |
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■観欄橋(かんらんきょう) |
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■明月亭(めいげつてい)
庭園にふさわしい数寄屋(すきや)造りで、屋根は茅葺(かやぶき)、庇(ひさし)は柿葺(こけらぶき)である。水屋の窓に牛車の車輪が使用されているのは珍しいとされる。 |
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■悠々亭(ゆうゆうてい)
茅葺(かやぶき)の四阿(あずまや)で、古くは歌会や納涼茶会などに使用されていた。亭前は、烟霞島(えんかとう)・小蓬莢(しょうほうらい)などを望む。 |
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| 世界遺産 原爆ドーム |
平成8年12月世界遺産に登録。大正4年に建てられた、かつての広島県産業奨励館。
昭和20年8月6日原子爆弾により崩壊し、鉄骨をむき出した半円形のドームとなり、その姿から原爆ドームと呼ばれるようになる。 |

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| 広島の世界の平和のシンボル的存在で、原爆の惨状をリアルに伝える建物として保存されている。 |
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| 平和記念公園・平和記念資料館 |
| 平和への願いを込め、爆心地近くに建設された広大な公園。園内には被爆当時の生々しい資料を展示した平和記念資料館をはじめ、原爆慰霊碑など、60余りのモニュメントがある。資料館は'91年に改修工事が行われ設備もさらに充実。 |
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■広島平和都市記念慰霊碑
原爆死没者名簿が納められている。家型に造られた形は犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持から。 |
■平和記念公園・資料館
広島平和記念資料館は平和公園に入る豪壮な門の役目をしている。高床式となった下の空間は、平和を行動的に戦い取る人々のエネルギーで満たしたいと言う設計者の考えが込められている。 |
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| ひろしま美術館 |
| 世界でも珍しい白い円筒形のドーム。市内最大の繁華街に、隣接した都会の別天地。ひろしま美術館には、フランス印象派を中心としたヨーロッパ近代絵画や明治以降の日本の油彩画を常時展示している。絵画鑑賞の後は、喫茶室で庭を眺めながらくつろげる。 |

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| 昭和53年(1978年)、創業100周年を迎えた広島銀行が、その記念事業として設立したもので、同年11月3日、広島市の中心部、緑豊かな中央公園の一角に開館した。 |
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| 世界文化遺産 宮島・厳島神社 |
| 海を敷地に建つ寝殿造りの厳島神社は1168年平清盛により、現在のような荘厳な様相に大造営された。また海中に堂々たる姿を構える朱塗りの大鳥居は、明治8年に建立されたもので、平安時代から数えてなんと8代目。平成8年12月には世界遺産登録されている。 |

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■海中を敷地とする厳島神社
海中を敷地とした構想は、御祭神が海の神様であるため現世に竜宮城を再現しようとした為か、また来世を船で渡って極楽浄土にまいる藤原時代の浄土信仰の表れか、平安の人工美と自然美の調和が結晶した一大偉観。海上にあるため、海水に浸る床柱は腐食しやすく、しかも潮風や台風による風蝕と倒壊の危機にさらされているが、普段の入念な手入れが幸いし、こ800年近く経た今も、平安貴族たちの見た神社と同じものを目にすることができる。 |
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| ■厳島神社の歴史 |
| *推古天皇即位元年(593年)社殿の創建 |
| 佐伯鞍職によると伝えられているが、平清盛の時代には、平家一族の拝するところとなる。 |
| *仁安3年(1168年)社殿が造営 |
| 平家一門の権勢が増大するに伴い、社を崇拝する度合も高まり社運はますます盛大になる。京都から皇族・貴族が訪れ、舞楽が始まったのもこの時代。平家滅亡後も源氏一門に厚遇された、安定と隆盛の時代。 |
| *承元元年(1207年)と貞応2年(1223年)に火災 |
| 重なる火災で神社の規模も変わったのか、弘安時代(1278〜1288年)に記された社殿の配置図は今と異なっている。鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になると、社殿は徐々に衰退し荒廃の時代を迎える。 |
| *弘治元年(1555年)毛利元就が厳島の合戦で勝利を収め社殿を支配下に置く |
| 豊臣秀吉も九州遠征の際に立ち寄り、安国寺に大経堂の建立を命じた。厳島神社は太古からの人々や時の権力からも信仰・崇拝をうけ続けている。 |
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